白山本地堂

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2005年の夏も終わりに近い頃、阿弥陀如来像にお会いするため『尾添白山社』を訪ねました。

明治の初めに白山から引き降ろされた9体の下山仏が本当に小さな祠に安置されていました。

その後、白山に興味を抱きいろいろと調べるうちに更に深く知りたいと思い、三馬場や泰澄大師に纏わる所を 廻るに従いこの年に(年齢は関係ないとはいいますが)なってやっと郷土史に触れる機会を得たようです。

P氏が子どもの頃は郷土史たるものがあったと言っていますが、私の頃は歴史といえば古代にばかり時間を割き現代史を避けた授業をする先生ばかりでした。実際、考えるということは全くなく意味も解らず暗記するということを繰り返していたようです。

強者の歴史は、時代に応じて塗り替えられている事に気づきます。今更ながら・・・・・

最初に三馬場を訪ねました。

平泉寺 → 長瀧寺 → 白山比咩神社  ところが当時は「白山寺」一揆衆に建物を焼失され現在の地に移りましたが、いつから寺ではなくなったのか?僧兵はどうしたのか?

それから私の1番の疑問。

主祭神がなぜ「菊理媛神」となったのか?中世まではイザナギとイザナミだったと・・・

そして、平地はほとんど雪のない今年。

白峰はまっしろな世界、下山仏が安置されている白山本地堂へ参りました。

[2008.2拝]

白山市白峰イ68
TEL.076-259-2648(H20.3.1から)

拝観料300円

拝観時間8:30~16:30

無休

[参考図書]

石川県の歴史 下出積興著 1970年山川出版社


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白山本地堂 への2件のコメント

  1. take より:

    なかなか男性的なお顔の阿弥陀様ですね。
    昔は寺も神社も一緒にお祀りしていたところが多かったのではないでしょうか?
    明治の頃だったか、税金の関係もあり、寺か、神社か、どちらかにしろ、と強制されたこともありますしね。
    そこら辺で一度途切れているのかもしれませんね…。

  2. keiko より:

    画像は、御前峰に安置されていた「十一面観世音菩薩坐像」です。
    それほど大きくないと想像していたのですが、200kg強ということでした。
    各部分に分けて鋳造してあるため山頂へも運べたようです。
    1000年の間神仏習合であったものを分離させようとした時の勢力。それでも美濃馬場は同一敷地内に以前から現在においても神仏習合状態です。
    宗教と利権、権力があるほど情報操作しやすいといいますか・・・
    私としてはとても気になるのですが、多くの人はそうではないのかもしれません。

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