1 月 08 2008
白山三馬場
≪美濃馬場≫
白山長瀧寺
白山中宮長滝寺は、霊峰白山を開山した泰澄が奈良時代養老年間に創建した山岳寺院であった。
平安時代天長9年(832年)加賀馬場白山本宮・越前番場白山中宮平泉寺と並ぶ白山三馬場のひとつ美濃馬場白山中宮長滝寺として、白山へ登拝する美濃禅定道の拠点となっていった。治安元年(1021年)延暦寺天台別院となり勢力を拡張、寺領は飛騨国河上庄を含む広大な範囲に及んだ。
隆盛時には 「六谷六院 神社仏閣三十余宇 衆徒三百六十坊」 と称され、白山信仰の霊場として朝廷や武士・豪族の信仰も厚く、信徒は美濃・尾張・三河・駿河に広がり、この地に宗教文化の花が絢爛と咲き誇った。
明治維新の神仏分離で白山長瀧寺と長滝白山神社に分かれ、さらに明治32年(1899年)大火により堂社を焼失し古の面影はなくなったが、今なお境内には石灯籠や堂塔の礎石など中世寺院遺構が点在する。幸い持ち出された数多くの宝物が文化財として保存され、白山瀧宝殿・白山文化博物館で順次公開されている。
[境内案内板より、2007.11拝]
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≪越前馬場≫
白山平泉寺
白山平泉寺は、平安時代後期から室町時代の越前において、白山信仰の拠点として強大な勢力を有した山岳寺院跡です。一般的には 「平泉寺」 の名称で知られています。
平泉寺は養老元年(717年)に泰澄大師によって開かれたとされています。平安時代には比叡山延暦寺の末寺となり、室町時代には寺領九万石・九万貫、四十八社・三十六堂・六千坊、僧兵八千と称される隆盛を誇ったと伝えられています。しかし、天正2年(1574年)、一向一揆との戦いに敗れ、全山焼失しました。その後、境内中心部のみが再興されましたが明治の神仏分離令によって平泉寺は廃止され、白山神社となりました。
平成元年度には、旧境内の範囲を確認する発掘調査が開始されました。その結果、かつての平泉寺境内が現在の白山神社境内の十倍以上もの広さであった事がわかりました。
平成9年3月10日には、史跡の範囲が旧境内のほぼ全域(約200ヘクタール)に拡大され、名称も 「白山平泉寺城跡」 から 「白山平泉寺旧境内」 に変更されました。
[境内案内板より、2006.5拝]
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≪加賀馬場≫
白山本宮白山寺
現在の白山比咩神社の場所ではなく、石川総線加賀一の宮駅後方の古宮公園となっているところだったようです。創建は崇神天皇の時代と伝わっているようですが、文明12年(1480年)の大火により焼失し、当時の三宮神社を本宮と定めたそうです。
[案内板より、2008.1拝]
白山本宮とありますが、白山の本宮というわけではなく加賀の国における本宮です。
大火とは一向一揆によるようです。何故か再建されず現在の地に移ったようです。聖地であったはずが・・・
元々は神社ではなく寺院で僧兵が多くいたようです。
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白山中居神社
三馬場よりも白山に近く 「遥拝の神域」 として別格視されています。
神域の入り口には道路の頭上に注連縄がはられており境界を知る事が出来ます。境内は澱みない空気と杉の霊気が心地よく全身を覆ってくれます。例年、すでに雪がある時期というのに雲ひとつない快晴で、なにやら幸せな気分にしていただきました。
[2007.11拝]